現在の世界で「今の時代を代表する経済学は?」と問われても、そこにはアナリストの金融分析や経済行動の豆知識などが混在しているだけの印象があって、何かその背骨のようなものが見えにくい。
フラウ・マリア号の美術品の所有国は
今から245年前、サンクトペテルブルクに向かっていたオランダの2本マストの木製帆前船「フラウ・マリア」号がバルト海で沈没した。この船は、エカテリーナ2世がサンクトペテルブルクのエルミタージュ用に購入した絵画を運んでいた。フィンランドのダイバーは1999年、オーランド諸島付近でこの船を発見。以来、ロシアとフィンランドは、海底に沈む宝の所有権についての議論を続けている。
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矛盾に満ちたロシア最初のツァーリ
1、幼時に欠乏体験をした。
父親が死亡したのは、世継ぎたる彼がわずか3歳のときだ。形式的には同じ年にイワンは全ロシアの大公になったが、もちろん、国を治めることはできなかった。古い貴族階級の代表である有力な大貴族たちが権力闘争を繰り広げていた。
彼は8歳で孤児になった。彼の後見人に任ぜられたシュイスキー公一族は彼を軽んじ、彼の回想によれば、十分な食事さえ与えられなかった。歴史家セルゲイ・ソロヴィヨフは、つらい少年時代こそがこの皇帝の残忍な性格を形成したと考えている。
2、最初のツァーリ(皇帝)になった。
イワンは1547年、成人に達した日に戴冠した。イワン以前にはモスクワ・ルーシの支配者はすべて大公の称号を持っていたが、彼は初めて、ローマ皇帝「カエサル」の名に由来するツァーリ(皇帝)を名乗った。これは西欧の「皇帝」と同じく、その権力が直接、神に起源をもつとされている。
この称号はヨーロッパの君主らの目からすれば、ロシアとその支配者にそれまで以上の重みを与えるものだった。イングランド女王エリザベス1世、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世ハプスブルグ、